夏の暑さに負けたのか少し体調を崩した。その養生のために、一人で信濃追分の山荘にでかけた。今回は、何もない山荘で、飽きずに過ごせたら2週間は居たいと考えていた。山荘は木々に囲まれているのでテレビの電波が遮断されている。一人きりなので、話し相手もおらず、原稿を書くか本を読むか、それでなければ、周りの追分ケ原を散策するだけだ。

ある日の午後、ベランダのロッキングチェアーに腰かけて、ビールを飲みながら庭の木々や雑草を見ていた。ベランダは、食堂を兼ねた台所と隣の居間から、ガラス戸で繋がる構造になっている。一匹の蝉がベランダの床に居るのを見つけた。蝉がベランダに居るのは、少し、奇妙だと思い、私は、暫く「ジッー」と蝉を観察していた。その蝉は、羽根を胴体にピッタリとくっつけたままで、小さな足を使い、胴体を揺らしながら、ジリジリと前に進んでいる。私はその時に初めて気が付いた。蝉は羽根を動かしたくとも動かすことが出来ないのだ。

私の頭の中に「この蝉は、寿命が尽きようとしている」の言葉が浮かんだ。と同時に、私は、ベランダの端から10cmの所にきていた蝉を拾い、急いで、ベランダから家の中に入り、ランチの時に食べた蜂蜜の瓶をもってきて、スプーンの先に少しの蜂蜜をつけ、そのスプーンの上に蝉をのせた。蝉は、微かに口を動かし、蜂蜜をなめたような気がした。しばらくして、私は、再び、その蝉を手でつかみベランダからおり、近くの松の幹に、その蝉を付けた。蝉は、少しの間動かなかったが、ゆっくりと松の幹を登りだした。

その晩、夕食を食べに、行きつけの追分宿の蕎麦屋に行く時に、その松を見たが、蝉の姿はなかった。私は少し、ホッとした。

行きつけの蕎麦屋は、追分宿の中山道沿いにあり、地元の人がやっている評判の店だ。私は、少し自由な時間ができた数年前から、縁あって、夏の暑い時期に、このムラに滞在している。この村は、かつて、堀辰雄や立原道造たち四季派と呼ばれた物書きが訪れた所として知られていた。滞在中は、1人の時が多いので、夕食は、この蕎麦屋で、芋焼酎で一杯やりながら蕎麦を食べるのが習慣となっている。その日も、いつもと同じように、青い大きなノレンを手で払いながら、その奥の引き戸を左手であけ、女将さんに声をかけ、いつものカウンターの奥に腰を掛けた。店は、相変わらず、地元の人と避暑客で混んでいた。隣の席には、何回か、この店で、偶然、横にすわったことがある顔見知りの女性が座っていた。

私は、その女性に軽く挨拶をして、生ビールを注文した。「こんばんは、またお会いしましたね」とその女性は声をかけてきた。私は、「こっちに居るときは、ホボ、毎日、晩酌を兼ね、夕食を食べにきています」と答え、付け出しのフキの煮つけを食べながらビールを飲み始めた。

この女性は、東京の仕事を停年した後、追分にある別荘に移住し、夏だけではなく冬も住んでいることを思いだした。女性は、「今回は、いつまでいるのですか」と聞いてきた。私は、「まだ、決めていません」と答えた。その女性は、少し、お酒が入っていたのか、いつもより饒舌で、「私は、大病をしてから少し、人生の見方が変わったわ」と言った。
「そうですか?」と私は答えた。
「少し、人や社会に優しくなったみたいです」
と女性が言った。私は、「それは、あなたが良い年を生きてきたことの証ではありませんか?」と言いながら、芋焼酎の水割りに切り替えた。
この女性との会話は、これだけで、暫くすると、その女性は、「お先に」と言って先に帰って行った。「また、機会が、あればここで」と、私は答え、焼酎を何杯かあけた。酔いがまわるにつれて、人や社会に優しくなったと言った女性の言葉の意味を考えていた。おそらく、女性は「死」と言う哲学的な問題に直面し、一種の悟りのような思想にたどりついたのだろうと思った。

翌日の朝、私は、いつものように風呂場でシャワーを浴びた。ふと、ホーロの湯船をみると、1匹のコオロギが湯船の底で動いていた。風呂の水を流す小さな穴から間違って入ってきたのに違いない。コオロギは一生懸命、湯船から脱出しようともがいていた。しかし、何回脱出を試みても、ホーロの湯船の壁は、無常で、このコオロギの試みをことごとく拒絶していた。私は、コオロギを脅かし、入ってきた小さな穴へ戻してやろうと思い、シャワーの水をコオロギに浴びせた。コオロギは驚き、穴に戻るどころか、必死なって、湯船の壁を登ろうともがいている。私は、何とか、穴に戻そうと水をかけ続けるのだが、結果は、全く予期せぬ方向に動いて行った。やがて、コオロギは、力尽き、水の流れに飲み込まれ、登ってきた穴に流されていった。コオロギは死んだのかも知れなかった。私は飛んでも無いことをしたと思った。コオロギを殺す気持ちは、全くなかったのに、結果として、コオロギを殺してしまった事が、私の気持ちを暗くした。

その気持ちが癒えぬままに、ベランダに出て、ロッキングチェアーに座り、煙草を吸いながら熱いコーヒーを飲んだ。ベランダには、高原の風が木々が擦れる心地良い音とともに通り抜けていった。私は、ベランダの手すりに手を添え、口を大きく開け、風の匂いと音を精一杯吸い込んだ。何気なくベランダの前の松の木をみると、その根元に黒い小さなものが居た。蝉だった。足を腹の下にしっかりとつけ、仰向けのまま、微動だにしなかった。私は、この死骸は、昨日の蝉に違いないと確信したが、その死骸を見続ける勇気はなかった。
その日の午後、私は、山荘を去った。
 
蕎麦処ささくら 
 
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