2023年4月18日(火)~21日(金)

4月18日(火)、19日(水)
萩の酒蔵『東洋美人』で「農大酵母の酒蔵を訪ねて」のコラムを取材した後、山陰線で松江に移動し駅前のホテルで一泊し、思い切って隠岐の島を訪ねることにした。隠岐の島は後鳥羽上皇と後醍醐天皇が流された島だ。後鳥羽上皇は1221年に鎌倉幕府倒幕の兵を挙げたが失敗、現在の海士町に流され、後醍醐天皇は1331年に笠置山で倒幕の挙兵をしたが捕らえら,隠岐の島(島後)に流された。
翌朝一番のフェリーで七類港から知夫島へ向かった。少し時間があったので、知夫島の来居港フェリーターミナルで取材メモをまとめ、13:30に予約していたタクシーで赤壁、赤ハゲ山を見学した。

   
(知夫島の赤壁) (知夫島の赤壁(海から))
 
15:00にターミナルに戻り内航船が出る16:28までコラムの原稿を書き、内航船いそかぜで海士島菱浦港へ移動した。海士島では隠岐神社に近い中村旅館へ宿泊した。旅館の大将にターミナルまで迎えにきてもらい中村旅館へ向かった。
夕食の時にフランス人の夫婦に会う。旅は道ずれとの言葉に従い2人に話かけた。2日は3人の子持ちで6年前に再婚し、今回がハネムーンだという。子供は男の親がみているらしい、本人は建築家でロスアンゼルスのフランク・ゲーリーの建築事務所で2005年からから2010年まで働いていたという。明日、海士島を離れ京都に2泊し、瀬戸内の豊島で安藤忠雄の建築をみるとの事、日本の建築は世界的にみても素晴らしいと語っていた。。
 
松江に出て隠岐に行くという僕に、東洋美人の4代目蔵元の澄川宜史さんは「旅先で飲んでください」と、山口県新酒鑑評会で第1位を受賞した東洋美人を持たせてくれた。
その酒を夕食の時に、フランス人夫婦、宿の大将と女将と一緒に飲んだ時の事だ。 女将がその酒を一口、口含むと、
<この味は昔飲んだことがある>
と言い、山口県美弥市の大嶺酒造の酒瓶を出してくれた。女将によると、大嶺酒造は東洋美人の蔵を借りてその酒を造ったとの事だった。この話を聞いた時に、4代目の澄川氏が伝統産業である酒造りを志す若者に酒造りの技術指導をしている話を思い出した。大嶺酒造は4代目の指導を受けた酒蔵に違いないと思った。
僕は、いつの日か4代目を誘い、海士町の旅館なかむらを再訪し、女将から直接、この話を聞いてもらいたいと思った。
 
4月20日(木)
昨日の夕食に時に、フランス人夫婦に加え、徳島博物館の村田さんという学芸員と知り合いになったので、9時にロビーに集合し、2人で後鳥羽上皇の隠岐神社、後鳥羽上皇御火葬塚、資料館、村上家を見学した。村田さんは知識が豊富で、鳥居の形には神明系( 天照大神を指す系統で地面から垂直に立てられている)と明神系( 神全般を指す系統で柱に台石がある)の2つがある事、隠岐の島は孤立した島だったので公家文化のなごりがあること、1609年に公家の飛鳥井雅賢が、朝廷内での密通(不倫)事件に関係し、隠岐に流され生涯を終えたことなどを教えてもらった。
その日の昼、後島の西郷港までわたり、隠岐国分寺に行くという村田さんと別れた。僕は、港で隠岐牛のランチを食べた。なかなか美味かった。午後は、一人で後鳥羽上皇の上陸地点、上皇が座った石、泊まった神社などを見学した。偶然、島の人と話す機会があり、今でも、後鳥羽上皇は島ではあがめられていることと話してくれた。
夕方の便で西ノ島別府港へ渡った。島間の移動は内航船と言う連絡船で移動するのだ。

   
(隠岐神社の鳥居) (後鳥羽上皇腰かけ岩)
 
4月21日(金)
 午前中、知夫島の赤壁を海から見学、その後、昼食のラーメンを食べ、観光バスに乗り国賀海岸をハイキングした。乗客は2名、僕の他は京都の女性だった。また、また、「旅は道連れ世は情け」って訳で、一緒に岬の公園からハイキングを始めた。風はやや強く、ややガスがかかっていたが眺望はよし、急峻な崖に沿ったコースを景色を見ながら進むだ。

   
(國賀海岸①)  (國賀海岸②) 
   
しばらくすると、進行方向に黒毛和牛の群れが現れた。その群れのボスがジットこちらを見ている。刺激しないように通過しようと静かに数歩進んだら、群れのボスと子ずれのもう1頭が突進してきた。同時に、斜め後ろの方向からもう1頭の牛が突進、突進してきたボス牛と目が合った。ボスは明らかにこちらを威嚇している。やばいと思った瞬間、ボス牛は右方向に進路変えた。ホットした。
ハイキングコースの終盤の坂道だった。前方、斜め前に迎えのバスが見えた、と同時に、進行方向のコース上に4頭の黒毛和牛が道をふさぐようにいるのだ。2頭は横になり、2頭は草を食べている。先ほど経験から、少しビビッていた我々は、しばらく、坂の途中に座り4頭の牛が移動するのを待っていたが、牛は全く動く気配がない。心を決め、思い切って牛の後ろを通過しようとすると、牛はこちらを振り向き、向きを変えて近づいてきたので、通過は断念。しばらくして、今度は、京都の女性に先に行ってもらい、座り込んでいる2頭の牛の後ろを大回りに迂回しながら静かに通過した。成功した。
 
迎えに来た壱岐観光の人は、そのボス牛は、人間が小人数だとたびたび観光客を威嚇するらしい。ボス牛は観光客と地元民を区別できるらしく、小人数の観光客だとわかると威嚇するらしい。また、普通の牛もハイキングロードに座り込み、人を馬鹿にする行動をとるらしいのだ。フェリーターミナルに戻り、内航船で海士島に渡る京都の女性に、「無事でよかった」との意味を込めて、缶コーヒー私を見送った。
 
僕は1時間後のフェリーで隠岐の島(後島)に移動した。今夜の宿は「竹の坊」と言う旅館だ。この旅館は夕食がついていないので、宿の女将に「点」という小料理屋を紹介してもらった。

 
(ハタハタの刺身(隠岐の島(後島):小料理屋 店)) 
 
店の大将は、一見、無口のとっつきにくそうな感じだったが、1匹の沖メバルを、半身を刺身にもう半身を煮つけにして一杯やり始めた。隣の常連と思われるお客と仲良くなり、彼は「つびり?」と言う魚を半身は刺身、半身は塩味の汁にしていた。お互いの刺身を交換する。
この頃になると、店の大将も一見客の僕にも、「この客は問題なさそう」と判断してくれたのか気さくに話に加わった。この店の名物は「鯖寿司」だという、隣の客が勧めてくれたので、僕も「鯖寿司」を注文した。「美味い」、これで止めようとしたのだが、何とハタハタの刺身ができるというので、これも注文、白身でほのかな甘みがあり絶品だった。ハタハタの刺身は生まれて初めての経験だった。
 
 
 
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